メルボルン歴史散歩の第16回は、メルボルン監獄 Old Melbourne Geol (メルボルンジェイル) 1841年の話だ。
メルボルン監獄は、ビクトリア(当時はNSW植民地ポートフィリップ地区)で最初に出来た刑務所だ。
ビクトリア州に現存する最古の刑務所であり、1800年代中期における刑務所のあり方を伝える貴重な文化遺跡である。
メルボルン監獄 Old Melbourne Gaol ラッセル通りとビクトリアパレードの交差点から直ぐシティ側に入った場所にこのメルボルン監獄がある。
現在は、博物館であり観光スポットとなっている。
外壁は、ビクトリア州産の高価なのブルーストーンを使っており、1850年代のビクトリア植民地の最も重要な建築物のひとつであった。
(ラッセル通り側の正面の建物)
メルボルンに最初の行政官(裁判官、警察官)ウィリアムズロンズデール大佐が赴任したのは、メルボルンが成立した翌年1836年だ。
メルボルン歴史散歩、第16回ウィリアムロンズデール大佐(2月15日)参照。
ウィリアムロンズデール大佐は、メルボルンの東北の外れであるこの地に裁判所と刑務所を作った。
最初の拘置所は、簡単な木造建築だった。
1838年には、メルボルンの国際空港であるタラマリン空港に名を残すアボリジニの英雄タラマリン(Tullamareena)ら3名が拘置所の火災により逃げ出す事件も起きている。
(ラッセル通り側の正面の建物)
英国人による定住の前には、メルボルンには、原住民族アボリジニ、Kulin族の一部族であるウルンジェリ(Wurundjeri)族が住んでいた。
1835年にタスマニアからの移民が始まったが、ウルンジェリ族の一部の男たちは、英国人が彼らの土地を占拠するのに頑強に立ち向かった。
そして1838年4月25日にロンズデール大佐によってウルンジェリ族の男たちが逮捕され、出来たばかりの丸太作りのメルボルン監獄へ送られた。
直接の容疑は、ホーソン、リッチモンド、トウーラック、マルバーンの広大な地区を所有していたジョンガードナー(John
Gardiner)の羊を盗んだ容疑だ。
タラマリンたちアボリジニにとっては、草原に住む羊はヨーロッパから持ってきたと云っても、自分たちの土地に住む動物だから自分たちの所有物だと云いたかったに違いない。
数日後にメルボルン監獄が出火した際に3人の男は、逃げ出している。
3人の名前は、ムーニームーニー(Moonee Moonee)、タラマリン(Tullamareena)、ジンジン(Jin
Jin)だ。
ムーニームーニーは、メルボルンの北にあるムーニーポンドにその名を残している。
(ラッセル通り側の入口の側の壁)
英雄タラマリンがメルボルン監獄から脱走の図
タラマリンは、後に再度捕まって、シドニーへ船で送られた。
シドニーで裁判が実施されましたが、まったく英語を理解しないので裁判にならずに無罪、放免された。
しかしメルボルンから700kmも離れた土地で釈放されたものの、無一文であり、結局、メルボルンへは戻らず行方不明となっている。
尚、タラマリンは、メルボルンの設立者のひとりジョンバットマンがアボリジニと詐欺同然の取り決めをした有名な『バットマンの契約』にも立ち会っている。
メルボルン歴史散歩 No 4.ジョンバットマン (1月25日)参照
筆者は、私見だが、ビクトリア州は、このアボリジニの英雄タラマリンの銅像をタラマリン空港に建てるべきだと主張したい。
(ラッセル通り側の入口)
本格的な刑務所が出来たのは、1841年だ。
ラッセル通り側の壁が出来たのは1845年だ。
当時のラッセル通りのこの辺りは、メルボルンの市外にあたり、石畳の舗装もなく赤土がむき出しの場所であった。
1851年に始まったゴールドラッシュにより世界中から荒くれ者や食い詰めた労働者が激増し、犯罪者の数も激増した。
それに伴いメルボルン監獄も大幅に拡張された。
1864年には、ブルーストーンを使った外壁や監視タワーが完成した。
(入口にある案内版 ツアーの時間が書いてある。)
メルボルン監獄は、英国イングランドのペントンビル刑務所(Pentonville Prison)をモデルに作られた。
共に主要施設の設計は、英国監獄総監のJoshua Jebbだ。
ペントンビル刑務所は、1842年に出来た最新設備を持つ刑務所だ。
アメリカフィラデルフィア刑務所(1829年建設)で開発された分離システム(Separate
System)というコンセプトを持っている。
これは、空港の駐機設備のように中央部からフィンガー(指)と呼ばれるいくつかの棟に分けて、各棟で異なるレベルの受刑者を留置するという当時としては画期的なシステムだ。分離システムにより静寂を保ち、暴動を防ぎ、受刑者に懺悔を求めるという懲罰施設(Penitentiary)としての性格を強く持つ刑務所である。
特にアメリカでは現在でも更正施設よりは懲罰施設としての傾向を強く持っている。
タスマニアの悪名高きポートアーサー刑務所も、メルボルン監獄と同時期に出来た刑務所で、同じくペントンビル刑務所をモデルに作られた。
(RMITの中庭への入口。)
1850年代には、女性を含み60名がこの場所で死刑を執行されている。
一般の墓地では埋葬を断られたために、現在でもその多くはこの公園(RMIT大学公園)の場所に葬られいる。
調査では、14個の赤レンガが掘り出されており、名前と死刑執行年月日が記されていた。
メルボルンの都市化と共にこの場所は、市内に組み込まれたために、1929年に使用停止になるが、それまでに136名が絞首刑により死刑を執行された。
1863年11月11日には、ビクトリア州で最初の女性エリザベススコット(Elizabeth
Scott)が夫を殺害した罪で絞首刑がここで執行された。
その後、3名の女性受刑者が絞首刑になっている。
その中には有名なネッドケリー(Ned Kelly 1880年11月11日死刑執行)も含まれている。
(監獄の壁、ブルーストーン製)
メルボルン監獄で絞首刑になった168名の中で最も有名な人物は、ネッドケリー(3
June 1854-11 November 1880)だ。
本名をエドワードケリー(Edward Kelly)と云いネッド(Ned)は、あだ名である。
何度も映画化されていて、暴力的な植民地政府に反抗したケリーを称える話が多く、メルボルンの一種のアンチヒーローといってもいい人物だ。
ネッドケリーの父は、アイルランドからの囚人だ。
(監獄の壁と出入り口。ブルーストーン製。左側は、洗濯場所)
若くして警察官と何度も対立したケリーは、3名の警察官を殺害している。
ブッシュレンジャー(Bushranger)といいオーストラリアの草原を根城に銀行を襲って資金源とするアウトローであることを仲間たちとともに宣言した。
最後には有名な手作りの鉄製のヘルメットと鉄板の防護服を着て、武装をして警察と戦い、ついに捕まった。
ネッドケリーの絞首刑は、Elizabeth Scottと同じ日の1880年11月11日だ。
(RMITの中庭になっている。地下に犯罪者が埋葬してある。正面の建物は、メルボルンセントラル。)
ネッドケリーもElizabeth Scottもビクトリア州北西部の街ビーチワースBeechworthの出身だ。
ビーチワースには、ふたりにまつわる観光場所がある。
Beechworthcom
ケリーは、絞首刑になった後、頭蓋骨をメルボルン監獄に展示してあったが、その後、盗まれている。
なお、死刑囚の大半は、墓地に埋葬することを許されず、このメルボルン監獄の敷地内に今も埋められたままだ。
豪州で最も呪われた建物と云われ、今も幽霊が多く出没するゆえんだ。
(正面の古い建物は、旧裁判所。メルボルン最初の裁判所。正面のレンガ作りの建物は、旧メルボルン警察本部。アールデコの傑作建築。)
メルボルン監獄は、1924年に隣に警察本部の施設が建設された際に、閉鎖された。
第二次世界大戦時には、軍事刑務所として使われたり、その後、警察本部のの資材置き場として使われたこともあった。
1972年に博物館として生まれ変わった。
(中庭からラッセルへの門。建設当初からの建築物で貴重な門である。)
グッドフライデーとクリスマスを除き毎日、9時半から5時までオープンしている。
夏場には、夜のツアーも企画されている。
メルボルン監獄は、ラッセル通りを北へ上がって行きロンズデール通りを越した左側に位置する。
シティのホーンテッドブックショップ(The Haunted Bookshop)では毎月、メルボルン幽霊ツアーを実施しています。
おとな$20土曜日夜8時半集合。(子供不可)この道、No1のDrew Sinton氏が解説します。
15 McKILLOP STREET MELBOURNE AUSTRALIA 03 9670 2585
The Haunted Bookshop公式Web
***********メルボルンの問題集*********
今回の質問。
1)下記は、オーストラリアの主要な新聞だが、この中で、メルボルンに本社を置く新聞社はどこか?
@エイジ The Age
Aオーストラリアン The Australian
Bヘラルドサン Herald Sun
2)3誌の中で、平日の販売が多いのはどの順番か?
@エイジ The Age
Aオーストラリアン The Australian
Bヘラルドサン Herald Sun
前回の質問の回答。
1)オーストラリアで最も大きなスタジアムは、どこか? @メルボルン クリケット グラウンド MCG
2)収容人員は、どれだけあるか?@10万人
参考文献
ネッドケリー Wikipedia
オーストラリア伝記集(Australian Dictionary of Biography) ネッドケリー
メルボルン監獄公式Web
映画ネッドケリー公式web
Only Melbourne Melbourne
com
City Search Visit Victoria 同Web
メルボルンの歴史 Wikipedia メルボルンの初期の歴史 HISTORICAL TIMELINE
メルボルン歴史散歩の管理人 イタさん(Mike Itaya) powered by
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